[コラム] サバイバルゲームと武道精神
2015年8月は戦後70年…日本全国民が「戦争」というものについて再び考え直す大きな機会であったと思います。現代においては、周辺国の脅威、防衛力の強化など、様々な軍事的問題が浮き上がってくる現実があり、危機感・危機意識を忘れることなく生きていかなければならないと感じます。
サバイバルゲームは結局のところ戦争ごっこか?!
さて、本題の武道精神を語る前に、エアソフト(サバゲー)の現実を認識しなければなりません。サバゲーは戦争とは違う!と誰がいくら言い張っても、見た目は人と銃を撃ち合う行為であり、つまりは完全に戦争ごっこです。否定のしようがありません。地球上のすべての戦争(あるいは実銃)が無くなれば、サバゲーも次の次元に進めるのでしょうが、そんなことは到底期待できそうにもありませんから、批判的にみる人が多いのは当然です。
以前に比べて「サバイバルゲーム」や「エアソフトガン」を知っている人が増えたとはいえ、今も世界のどこかで銃撃による殺し合いが起きて報道されている以上、好ましくない或いは不謹慎な部分は消え去りません。万人に対して偉そうに語れるものではない、まずはそこを理解しておかなければ一歩先には進めないと思います。
さらに、サバイバルゲームの面白さの根源は、エアソフト(模擬銃)で人を撃って、反応(ヒット)を得るという、ある意味エクストリーム(過激)なものです。そんな中で、どのようにサバイバルゲーム文化を育てていったらよいのか、GUN道場ではいつも考えるわけです。
武道精神をもったサバイバルゲームを心がけたい
サバイバルゲームは単なる遊び、レジャーであって構いません。しかし必ず相手が必要であり、お互いの信頼と心の平穏がなければ成立しない「武道的」な要素があります。武道とは…武(力)をもって道を追求するということであり、人を殺傷/制圧する”技術”の鍛錬を通じて人格の完成をめざすという精神が根底にあります。そして様々な武道に通ずるのは、人を(投げて)倒す、人を(竹刀で)叩くといったようなエクストリーム要素があることです。人を傷つけずに人間の本能的な欲求や快楽を満たしつつ、心・人格を磨く世界ということになるでしょうか。
サバイバルゲームにおいても、同じ場に立つ「相手を尊重」し、「礼儀」と「節度」そして「内省(反省)」をもって遊ぶ(鍛錬する)べきということ。しかもゲーム上で自らの「敗北」「死」を審判するのはあなた自身です。こんな潔いスポーツ/遊びは他に思い当たりません。ある意味、現代における究極の武道スポーツなのかもしれません。
自分が審判を下さなければらないという点では、特に射撃時やヒット申告において、自分はこれでいいのか?自分に負けていないか?精一杯の努力をしているか?と自分に問いかけながら悩み、楽しむべきでしょう。そういった武道精神をもってプレー出来れば、生涯楽しめるものになると思います。
武道精神を忘れ、憎しみや歪んだ心をもって参加する者、人知れず人を傷つけるために参加する者には参加する資格はありません。
GUN道場 サバイバルゲーム五訓
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